人権コラム
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2018年06月05日
「差別になっている」
「何であんな黒いのが好きなんだ」
この発言、覚えていますか。
昨年11月、山本幸三衆院議員(福岡10区)がアフリカとの交流に熱心な同僚議員に向けた言葉です。
「黒人蔑視」の発言として、メディアは一斉に報じました。これに山本氏がどう釈明したか。
「アフリカ大陸を示す意味で使った。表現が誤解を招くということであれば撤回したい」
またか、という思いです。発言の撤回は「誤解を招くなら」の仮定であり、問題性を認識していません。
このような釈明とは言えない釈明は、政治家の問題発言につきものです。
「誤解を与えたとすれば」「傷つけたのであれば」「そういう意図ではなかった」。
こんな言い方をされて、当事者はどう思うでしょうか。
父母のどちらかがアフリカにルーツを持つ「アフリカンキッズクラブ」(東京)は、山本氏に抗議の手紙を送りました。
「山本議員の言い方は、どう考えても差別的で、さげすんでいるようにしか聞こえません」。
キッズクラブの中には肌の色の違いでいじめられた経験を持つ人もいます。
当事者は、発言を「差別」と受け止めているのです。
言葉で人を傷つけたり、差別をしたりすることは、誰にでもあり得ることです。
そのときに問われるのが「二つの欠如」だと思います。一つは知識の欠如、もう一つは想像力の欠如です。
山本氏に欠けていたのは、黒人差別に対する知識と、当事者の受け止めに対する想像力でしょう。
アフリカンキッズクラブのような当事者の心情に思いを巡らせれば、あんな言い訳は口にできないはずです。
このニュースに接し、同和教育の先達である谷内照義さん(元全国同和教育研究協議会委員長)の言葉を思い起こしました。
「差別をしている、していないではない。差別になっていることが問題なのです」
差別をしようと思っていなくても、結果的に差別になっていれば、その現実を問題視せよ、と解釈できます。
九州の同和教育の先駆者である林力さん(元福岡県同和教育研究協議会会長)は60年近く前に、谷内さんの言葉に触れ「大きな教えをいただいた」と言っています。
目を見開かされる思いだったそうです。
谷内さんの教えは全く古びていません。
部落差別、人種差別、いじめ。いずれにも通用します。
学校で、職場で、地域で、それから政治の世界で、かみしめたい言葉です。
西日本新聞社編集局報道センター部次長
前田 隆夫