人権コラム

  • 2022年04月28日
    ダイバーシティと公平

 NHKラジオに「子ども科学電話相談」という番組がある。いつから始まったのかよく知らないが、以前から車の運転中などによく聴いていた。日曜の午前に放送されているが、夏休みの時期は毎日やっている期間もあったように思う。

 小学生前後の子どもたちが、宇宙や地球、動植物などに関する素朴な疑問を電話でぶつけてくる。それに対して専門家のみなさんがその場で答えていく。その工夫された答え方に感心するとともに、純粋な疑問から発せられる子どもたちの質問に、ときに大人では気づかない鋭い視点が含まれることにも感心させられることがしばしばで、その可愛らしい声のせいもあって、長らく好きな番組の一つである。

 その子ども科学電話相談に「心と体」というテーマ設定がある。昨年の秋、たまたま聴いたのがこのテーマの時間で、幼い女の子からの第一声は「公平ってなんですか?」だった。学校で、例えば何かを何人かで分けたり、何かを多数決で決めたりするときに、先生や友だちが「公平に」と言う、ではそもそも公平ってなんだろうと思った、と。

 対応した大学の先生の話は、よく説明に使われる、「背の高い人には塀の向こう側が見えるが、背の低い人には塀の向こう側が見えない。これは公平と言えるか。公平にするにはどうすればいいか」というたとえを問いかけながら深い理解へと導いていくものだった。その語り口がとてもやさしく丁寧で、しかもSDGsに言及することなくしっかりと「誰一人取り残さない」も語りながら、その女の子に考えさせ、気づかせていく力を持っていたことも印象的だった。

 最近はサステナビリティと称されることも多くなってきた企業の社会的責任の取り組みの中で、ダイバーシティ、あるいはダイバーシティ&インクルージョン(D&I)がよく語られるようになった。

 人はそれぞれおかれた条件に違いがある。ダイバーシティの議論では、企業の中で多様なその違いを認め合い、経営にも生かしていく、とされる。しかし、多様性のあるところではインクルージョン(包摂)ではなくエクスクルージョン(排除)も起こりがちだ。だからこそD&Iとも言われてきた。その意味では、インクルージョンは、企業の既成の考え方や仕組みに働く人々を「包含」して「ワンチーム」を目指すことではない。インクルージョンはむしろ、そうした既成の考え方や仕組みに潜む、人を抑圧する要素を問い直し、人々がよりよく働けるようにする契機となるものだ。

 インクルージョンに欠かせない視点は、かの女の子が問うていた「公平」だろう。最近では「ダイバーシティ、エクイティとインクルージョン」(DE&I)を掲げる企業も増えてきた。エクイティは公平ということであり、公平を大切にすることは人権尊重の基本でもある。

 世界人権宣言の第2条は「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」と謳う。人権は、人々のさまざまな違いに関わらず、公平に認められるべきだと言っている。達成されていないからこそ謳われたこの原則を、ダイバーシティの議論でも忘れないようにしたい。

一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター 特任研究員
松岡 秀紀

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