人権コラム

  • 2018年10月19日
    人権・同和教育の「地域差」

 非常勤講師をしている九州大学でハンセン病の話をすると、学生から決まって「初めて知りました」という反応が返ってきます。それも受講者のかなりの割合です。

患者を強制隔離する根拠となる法律が、平成に入っても存在したこと。療養所の実態が「収容所」であったこと。家族や故郷との関係が絶たれたままの元患者(回復者)がいること。家族もまた、差別を受けたこと。
日本という国はハンセン病患者に対し、世界に悪名高き人権侵害を重ねてきました。現在進行形の問題ですが、学校で教わるかどうかは地域差があります。ハンセン病療養所があり、県が過去の政策を検証した熊本県は、他の地域よりも学ぶ機会が多いようです。

部落差別に関する教育も、同じように地域差があります。
九大の講義を受ける学生に、高校までに学んだことを毎年聞いています。福岡県の小中学校に通った学生は、授業の内容を割と具体的に話せる印象です。同じ九州出身でも、首をかしげながら、自信なさそうに話す学生もいます。そんなやり取りを聞いてがく然としていたのは東海出身の学生です。「私は全く学んだことがありません。こんなに違いがあるなんて…」。困惑が伝わってきました。

私がこの地域差を知ったのも大学生のときでした。西日本新聞の入社前研修で、関東出身の同期が「部落差別を教わったことがない」と言うのに驚きました。福岡県出身の私は小学校で狭山裁判を習ったし、部落差別を学ぶことは「当たり前」だったからです。
地域によって教育にこれほどの違いがあれば、全国から人材が集まる企業で社員の意識差が大きくなるのは必然でしょう。

気掛かりなのは、部落差別を学んだ学生でも「過去の歴史」と思っている学生が少なくないことです。近年は同和教育が「人権教育のテーマの一つ」となり、教える内容が浅くなったと指摘されています。
その意味でも、企業で教育・啓発する意義は大きいと言えるでしょう。

2016年12月に施行された「部落差別の解消の推進に関する法律」は、第1条に「現在もなお部落差別が存在する」と記し、国と地方自治体が差別をなくすための教育と啓発に努めるとうたっています。

そこに地域差はありません。


西日本新聞社 編集局佐世保支局長(2018年8月1日〜)
前田隆夫

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