人権コラム

  • 2019年05月07日
    同和問題は「自分ごと」

新入学、進級。喜び多い4月は、学校に通う子どもを持つ保護者にとって出費がかさむ時期です。小学1年生なら、学習机にランドセル、学校によっては制服も必要です。ランドセルの価格相場は3万円から5万円というから、結構な支出です。

10万円のランドセルを買う家庭がある一方で、新入学用品の購入に苦慮する家庭もあります。新品や中古のランドセルを無償で提供する団体や企業の活動は、たくさんの家庭に感謝されているでしょう。

小中学校で使う教科書は無料ですが、かつては有料でした。「家が貧しくて教科書が買えなかった」。思い返すのもつらい体験を、年配の方から聞いたことがあります。

教科書無償が「当たり前」になったのは、高知市の被差別部落のお母さんたちが起こした運動の成果です。

1961年(昭和36)年、教科書代の捻出に困苦していたお母さんたちが、学校の先生と憲法の勉強をしていたときのこと。26条2項に目を留めます。いわゆる「教育の義務」に関する条項です。

〈すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする〉

ならば、教科書はただじゃないのか。素朴な疑問は痛烈な問題提起となって、賛同の輪を広げました。「教科書をタダにする会」の運動は高知市役所、高知市議会を大きく揺さぶりました。

この運動は途中でくじけることもありましたが、四国から全国に広がり、ついに国会で教科書を無償にする法律が可決。64年の小学校1〜3年生を皮切りに、69年までに小中学校の全学年が対象になりました。教科書代をどうしようかと、春が来るたびに悩む必要はなくなったのです。

同和教育に携わる人には有名なエピソードですが、一般にはあまり知られていないようです。ある教師は言います。「子どもたちに部落差別を教えるとき、教科書無償運動の話をすると問題が身近に感じられるはずです」

教科書無償は地域を問わず、誰もが受けている恩恵であり、それは差別を受けていたお母さんの問題提起から結実した。その事実一つ取っても、部落差別は「人ごと」ではありません。「自分には関係ないこと」とは言えないはずです。


西日本新聞社 編集局佐世保支局長(2018年8月1日〜)
前田隆夫

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