人権コラム

  • 2021年07月30日
    躍動するリアルの姿こそ

東京オリンピックが始まった。日本勢のメダルラッシュが続く。一つの道に、懸命に打ち込んできた若人の涙と笑顔はいいものだ。
しかし、始まる前のゴタゴタには目を覆いたくなった。開閉会式の演出責任者がかつて「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」と発言していた動画がネット上で拡散し、開会式の前日に解任された。
厳然とした事実であるホロコースト。だが、「虐殺はなかった」と主張する人は、少ないながらもいる。そうした人々はもちろん、自分がフェイクに乗せられているとは自覚していない。むしろ正義の旗を掲げ、「誤りを正すのだ」というヒロイズムさえ帯びていることが多い。

私が目撃したのは、関東大震災での朝鮮人虐殺を「なかった」と主張する人々だ。
都内の公園で2019年9月1日、朝鮮人犠牲者の追悼式典が開かれ、RKB東京報道部の記者だった私は、カメラを構えて撮影していた。日本人僧侶の読経に、外部からのスピーカーの音がかぶった。
「負の歴史ばかりを強調し、日本人に反省を強いる歴史観を、未来の子供たちに引き継ぐわけにはいかないのです」
数十メートル離れた場所で、虐殺否定派が開催した集会の声だ。マイクを握る女性は、「朝鮮人が、震災に乗じて、略奪・暴行・強姦などを頻発させた、軍隊の武器庫を襲撃したりして、日本人が虐殺されたのが真相です。犯人は不逞朝鮮人、朝鮮人コリアだったのです」と叫んだ。スピーカーは、わざわざ追悼式典の方向に向けられていた。明らかな嫌がらせだが、参列者は我慢して慰霊の祈りを続けた。
大震災50年後の1973年に、式典は始まった。虐殺を目撃した人々がまだ生きていたころだ。石原慎太郎氏をはじめ歴代都知事は、式典に追悼のメッセージを寄せてきた。ところが、小池百合子氏は就任後、恒例のメッセージをやめた。送っていたものを「送らない」と変えるのは、逆に政治的なメッセージ性を帯びる。メッセージを求められても断り続けている小池都知事の態度は、否定派を勢いづかせている。
虐殺された人数は、きちんと記録が残されなかったため、正確には分からない。6000人と言う人もいるが、根拠はない。報道するにあたり、私は信頼できる研究者に聞いた。彼は、「どんなに少なく見ても1000人以上、とは言えます」と話していた。否定派もさすがに犠牲者がゼロとは言えないので、こんな風に主張していた。
「朝鮮左翼により、テロが計画され、実行されたんです。それに対する住民の自警行為もありました。しかしね、6000人の大虐殺はなかった!」
自警団に殺害された朝鮮人はテロリストだったのだ、と言うのだ。「間違ったことなどしない、素晴らしい日本」という虚像を守りたいがために、無辜の犠牲者を再び辱める人々。その醜悪さは、同じ日本人として耐えがたかった。

残念ながら、日本でも人権上の問題が社会の底流にあることは明らかだ。
今回のオリパラでは、開会式の楽曲担当者が、かつて障害のある同級生への虐待・暴行を繰り返し、それを大人になってから武勇伝のように語っていたことが発覚し、辞任した。同級生を今いじめている子供が、やがて巡ってくる「ツケ」の支払いを想像して震えるなら、今回の発覚には意味があるだろう。
日本選手団には、サニブラウン・ハキーム、八村塁、大坂なおみなど、海外にルーツを持つ選手もたくさんいる。開催には賛否渦巻いたが、「多様性と協調」を大事にするオリパラをきっかけに、私たちの社会を見直すきっかけになればと思う。

空想の世界で作り上げた虚像など、捨ててしまおう。
現実の人々の躍動するリアルこそ、素晴らしい。

RKB毎日放送 報道局 担当局長
神戸金史

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