人権コラム

  • 2021年11月18日
    父親の言葉

書きにくい話なのだが…。
コロナ禍でなかなか帰省できず、1年ぶりに関東の実家に戻った先日のこと。80歳を超えた両親には運転免許証を返納してもらっているが、最寄りのスーパーまで10キロ近くある山間部なので、買い物が不自由になった。いつもは、近所の方に乗せてもらって買い物をしている。
だが、家庭菜園で使う肥料だったり(重い)、趣味の絵を入れる額だったり(かさばる)を、遠出してまで買いに行きたいとは頼みにくい。私が帰省したついでに、レンタカーで買って回ることにした。郊外の丘陵地帯を車は進んでいた。日差しは暖かく、運転していて気持ちがよかった。助手席の父親が、車窓の外を見ながら言った。「この辺りは元々、部落でなあ」
ぎょっとした。父が勤めに出ていたころ、部下の営業車がこの地域の人と接触事故を起こした。管理職だった父は、「部落ともめ事になると大変だから、対応には注意して臨め」と指示したのだという。「それで、どうなった?」「いや、幸い問題は起こらなかった」
それだけの思い出話だった。自分の体験談を、息子である私への処世訓として話したかったのかもしれない。だが……。
私は、車を路肩に寄せて停めた。「なぜ、そんなことをわざわざ言うの? 大変な差別的な発言で、今どき許されないよ。分かる?」
父も老いている。言葉が荒くならないように、そしてできるだけゆっくりと話したが、息子の私が、いつもとは違う強い視線を自分に投げかけてきていることは、父には分かったはずだ。後部座席の母はおろおろしている。

「トラブルにならなかったのなら、親父はこう言うべきなんじゃないの? 『部落の人と事故を起こしたが、何も起こらなかったんだよ』って。なのに、いまだに『部落は怖い』という話を親父は振りまいている」

父は地元では人格者として知られるが、こんなあからさまな差別意識を心の内に残していた。それが、私にはたまらなかった。
私は、少しでも差別をなくせればと思って、記者活動を続けてきた。先だっても、相模原市の「やまゆり園」障害者殺傷事件の被告と面会を重ね、TBSラジオとRKB毎日放送の共同制作ラジオ「SCRATCH 差別と平成」、RKBテレビ「イントレランスの時代」と、相次いでドキュメンタリー番組を放送した。「重度障害者などいなくなればいい」という被告の理不尽な主張と、ヘイトスピーチに見られる在日外国人への攻撃に共通した差別意識があると感じ、番組内ではそれらを並列して、私たちの中にある差別感情の根深さをあらわにようと試みた番組である。
なぜ、そんな番組を作ったのか。改めて両親に伝えた。私の話は、せいぜい3分程度だったろう。私の言葉を、父は無言で聞いていた。おそらく、父はこうした話を二度と私にしないだろう。だが、それは心の内の差別がなくなったことを意味しない。
「イントレランス」とは「不寛容」という意味で、100年前のアメリカ映画のタイトルだ。いつの時代も、どの国でも、不寛容が悲劇を招くことを描いた、無声映画時代の傑作である。これをモチーフにしたテレビ番組「イントレランスの時代」のラストで、私はこんなナレーション原稿を書いた。

誰の心の中にもある差別、不寛容の心。
いったん外に出してしまえば、それは激しい憎悪に姿を変えます。

憎悪は、時には正義を名乗って、殺人さえ引き起こすことがあります。

不寛容のナイフを握り、憎しみを人に向けるのか。
それとも、心の奥深く、そっと封印するのか。

それは、私たち一人ひとりが決めることです。

RKB毎日放送 報道局担当局長  神戸 金史

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