基礎知識

Q&A形式で一緒に学んでいきましょう!

  • A

    同和問題とは、「同和地区(被差別部落)出身」などの理由だけで、就職や結婚などで差別を受け、基本的人権が不当に侵害されているという社会問題です。

      「同和地区」とは同和対策事業特別措置法に基づく事業対象地域を指す行政用語として使われて以来、広く使われるようになりました。(同和対策事業の対象地域とならなかった被差別部落もあります)。同和地区やそこに住んでいる、あるいはそこに住んでいたことを理由に差別する等の人権問題を指して「同和問題」と呼んでいます。また、差別の不当性を問うという問題意識から「被差別部落」と呼んだり、この人権問題を「部落(差別)問題」と呼んだりすることもあります。

    【差別意識の広がり】(諸説あり)

    部落史の研究が進んだことにより、その歴史的成立過程は一様ではなく、地域によって多様だったことが明らかになってきました。諸説ある部落差別の起源の中で有力な一つの説として挙げられるのが中世の「ケガレ」意識です。当時の人々は、天変地異、死、疫病、出産、火事など、人間の支配力が及ばないところで日常のバランスが乱れることを「ケガレ」と呼んでいました。一方、死牛馬の処理や埋葬、刑執行など「ケガレ」を片づけたり、処分したりして、乱れたバランスを元に戻すことを「キヨメ」と呼ぶ人がいました。

    【身分固定化と差別の制度化】

    「キヨメ」意識は次第に薄れ、民衆は「キヨメ」に関わる人々を「自分たちとは違う人」と考え、次第に疎外していきました。安土・桃山時代には、豊臣秀吉が「身分統制令」を出し、人々が職業や身分を変えることを禁じました。江戸時代には、武士、百姓、町人などの身分が制度化される一方、「えた」「ひにん」などと呼ばれる賤民身分は、住居、服装、祭りへの参加など、社会生活のさまざまな面で厳しい制約や差別的な扱いを受け、職業も住居も固定化されました。

    【今日の部落差別の始まり】

    明治政府は1871年、「解放令」を出し、江戸時代の身分制度を廃止しました。制度上は差別を受けていた人々は解放されることになりましたが、被差別民が差別と貧困から解放されるための実質的な施策はなかったため、人々の差別意識は解消されることなく、ますます生活は苦しくなりました。こうした差別を受けた人々の居住地域が、現在の被差別部落と呼ばれる地域になったと言われています。
    1872年には「壬申戸籍」と呼ばれる戸籍が編製されましたが、被差別部落の人々には「新平民」などの差別的な記載もありました。この戸籍は1968年に法務省が閲覧を禁止するまで自由に閲覧できたため、身分差別を温存させる大きな要因となりました。

    【部落差別撤廃への動き】

    1922年、差別されていた人々が自ら差別をなくそうとして全国水平社を結成しました。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で結ばれる全国水平社宣言は、日本で最初の人権宣言とも言われています。

    全国水平社は戦時中、活動を停止していましたが、戦後、再組織され、部落解放運動を全国展開していきます。そして、政府の付属機関「同和対策審議会」が1965年、「同和問題の早急な解決は国の責務であり同時に国民的課題である」と答申したのを受け、1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、2002年までの33年間、国や地方自治体は、生活環境の改善や教育啓発事業などに取り組み、一定の効果を上げました。

    「今も部落差別はあるのですか?」という声を聞くこともあります。確かに、企業啓発、教育、市民啓発などにより、表面的な差別事象の数は減少しているように見えますが、2016年の部落差別解消推進法は「現在もなお部落差別が存在する」と明示しています。インターネット上での差別書き込みなど、匿名性を隠れみのにした陰湿な事件は後を絶たず、人々の意識の中に、被差別部落と呼ばれる地域や、そこに住む人々に対する誤った認識や偏見が根強く残っていることは否定できません。

    政府の地域改善対策協議会が1996年5月の意見具申で述べている通り、日本は人種差別撤廃条約にも加入し、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の一員であり、同和問題の解決に向けて努力することは国際的な責務です。

  • A

    【同和対策審議会答申】

    1960年、総理府の付属機関として同和対策審議会が設置され、1965年、佐藤栄作内閣総理大臣に「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」を答申(以下、同対審答申)。同対審答申は、同和問題について「人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である」とし「早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と明示。同和地区住民の就職と教育の機会均等、生活の安定と地位向上を中心的課題と指摘し、特別措置法の制定を求めました。

    【同和対策事業特別措置法から地域改善対策特定事業財政特別措置法まで】

    同対審答申を受け、1969年、同和対策事業特別措置法(同対法)が制定されました。同和地区の「経済力の培養、住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与すること」を目的とし、国や地方自治体が同和対策事業として生活、教育、雇用の環境改善、福祉の向上などを進めました。その後、地域改善対策特別措置法(地対法)、地域改善対策特定事業財政特別措置法(地対財特法)への法改正が続き、地対財特法が2002年3月末に失効するまでの33年間で物的な基盤整備は進んだとされています。

    また、2000年には人権教育・啓発推進法が制定され、国民の責務として「人権尊重の精神の涵養に努めるとともに、人権が尊重される社会の実現に寄与するよう努めなければならない」と明記されました。

    ただ、誤解してはならないのは、地対財特法が失効したからといって、部落差別が解消されたわけではありません。2016年、部落差別が現在も存在していることを認めた部落差別解消推進法が制定されることになります。

  • A

    インターネット上で同和地区名を掲載するなど悪質な差別事象が絶えないことを受け、2016年に制定されました。「現在もなお部落差別が存在する」と法律で初めて示した上で、「部落差別は許されない」「部落差別のない社会を実現する」と明記しています。また、部落差別の解消に向けた施策実施を国の責務とし、地方自治体も地域の実情に応じた施策を講じるよう努めることを責務と規定。相談体制の充実や教育・啓発、部落差別の実態調査についても盛り込んでいます。

    1969年制定の同和対策事業特別措置法(同対法)から2002年3月末失効の地域改善対策特定事業財政特別措置法(地対財特法)までの33年間は、差別を受けている人の生活環境整備が中心だったのに対し、部落差別解消推進法は「部落差別を解消する必要性に対する国民一人一人の理解を深めるよう努めることにより、部落差別のない社会を実現することを旨として(部落差別解消の施策を)行わなければならない」との基本理念を掲げ、社会のあり方を変えていくという視点が盛り込まれた点も特長です。

    教育・啓発の実施は国や地方自治体の責務となっていますが、企業の立場としても、社内研修などを通して、部落差別解消推進法の理念を周知することが大切です。

  • A

    全国の同和地区(被差別部落)の名称や所在地、世帯主、主な職業などが詳細に記載された冊子。1975年にその存在が明るみに出て、大きな社会問題となり、調査の結果、9種類の冊子が販売され、購入者は220余り、その大半を企業が占めていたことが判明しました。購入目的は同和地区の人々を就職から排除することであったため、企業の社会的責任として同和問題の解決に取り組むようになりました。

    しかし、残念ながら2005年から2006年にかけて、新たに2種類の部落地名総鑑図書、更にはフロッピーディスクに記載された「電子版・部落地名総鑑」が発見されました。この問題がいまだに続いていることを認識させられるとともに、コピーによるデータの拡散、インターネットなどへの流出などにより、新たな差別事象が発生しています。

  • A

    国や地方自治体が1969年の同和対策事業特別措置法施行から2002年の地域改善対策特定事業財政特別措置法失効までの33年間、同和地区の生活環境改善に取り組んできたことに対し、「同和地区だけが優遇されている」「自分たちよりも下位であって当然なのに、自分たちより生活条件が上なのはおかしい」などと反感を抱く態度や意識を言います。
    国や地方自治体の取り組みは、同和問題解決を阻む諸要因を解消するため、生活環境などを一般的水準まで改善する特別措置の位置付けでした。人種差別撤廃条約でも、差別解消に向けて必要に応じて講じられる特別措置は認められています。ねたみ差別や逆差別の背景には、部落差別の実態や同和対策事業の歴史的経緯などへの無知や無理解、同和地区に対する差別意識があり、今日の部落差別の根底にあるものとされています。

  • A

    同和地区を避けよう、同和地区出身者と一緒にされたくないという意識を言います。部落差別が根強く残る中、「同和地区出身者と見なされて部落差別を受けたくない」という不安が忌避意識を生むとされています。忌避意識は、同和地区出身者との結婚や同和地区への居住を避ける差別につながるため、忌避意識の克服が同和問題解決には極めて重要です。

    部落解放・人権研究所の奥田均代表理事は、著書『見なされる差別 なぜ部落を避けるのか』(解放出版社)で「忌避意識は、ストレートに部落に向かってというよりは、市民が他の市民の視線を感じ取り、お互いがそれに縛られながら『部落出身者と見なされる可能性』を回避していくという、むしろ市民と市民との関係、市民と社会との関係において形づくられている」と説明。別の著書『「人権の世間」をつくる』(同)で、忌避意識の克服に向けて「差別をしては世間に顔向けできない」という「人権の世間」づくりを提唱しています。法律や学校教育、企業の取り組みを通じて受動喫煙対策が進んだケースがヒントになるとした上で、こう指摘しています。「企業が部落問題をはじめ人権の問題にどのような姿勢で臨んでいるのか、どんな取り組みをしているのかが『人権の世間』づくりに無視できない力となって影響を与えています」

  • A

    同和問題を取り上げずに放置しておけば自然に解消するという考え方です。
    今日の社会では、差別が見えにくいものとなってきており、表面的には部落差別は減少しているようにも見えます。そのような現状においては「同和問題を知らない人に、わざわざ教えることは『寝た子を起こす』ようなものであり、差別を広げることにつながる」という人もいます。

    しかし、同和問題は現実に起こっている社会問題であり、社会の仕組みや私たちの暮らしの中に、さまざまな形で部落差別が存在しています。誤った考え方や偏見に触れたとき、科学的で正しい知識がなければ、それを鵜呑みにしてしまい、差別を拡大・助長する結果を招きかねません。差別のない社会を目指すには、「寝た子を起こすな」という考え方は、あまりにも消極的な姿勢と言えるのではないでしょうか。

    歴史的にも、1871年の「解放令」で制度的には差別はなくなりましたが、行政も教育も啓発しない間に差別の現実はいっそう厳しくなり、1922年の全国水平社の設立につながりました。このことは、同和問題を放っておいても解決しないことを物語っています。

    また、自分自身や、自分の身近な人が差別に直面した時に、「放置しておけば自然に解消する」と思えるでしょうか。差別の泣き寝入りを強いることにはならないでしょうか。

    企業で働く私たちは、日常の仕事のなかでも多くの人々とかかわり合います。「部落差別は自分には関係ない」という人もいますが、この社会にいまだに根強く残されている不合理や偏見を取り除くことを、自らの課題としてとらえ直し、私たち一人一人が何をするべきかを考え行動に移していくことが大切です。

  • A

    企業には、部落地名総鑑事件など部落差別の一端を担ってきたという歴史的責任と、社会が抱える諸問題の解決や豊かな社会づくりに主体的に貢献すべきという社会的責任があります。社会は人と人とのつながりで成り立っており、企業はその社会の中で事業活動を営んでいます。差別は人と人とのつながりを断ち切るものです。多様な人たちと接する企業にはまさに人権感覚が求められており、まずは従業員一人一人が同和問題についての正しい理解と認識を身に付けなければなりません。このことは、就職差別やえせ同和行為による被害を防ぐためにも重要となります。

    同和問題を学ぶということは、誰もが生まれながらにして持っている権利、人が人として生きていくための、誰からも侵されることのない権利について学ぶことです。差別のない明るい職場づくりは、風通しの良い、活気ある職場づくりでもあり、企業の発展にもつながるのではないでしょうか。

  • A

    えせ同和行為は、「同和問題は怖く、できれば避けたい」という誤った意識に乗じて、同和問題を口実にして企業や行政機関などに圧力をかけ、図書等の物品購入、寄付金・賛助金、下請けの参加などを強要し、不当な利益を得ようとする行為です。

    現在でも、えせ同和行為に直面した際に「ことを大きくせず、内々で処理したい」と、その場しのぎの安易な妥協をしたり、不当な要求に従うケースが見受けられます。

    えせ同和行為は、同和問題に対して「こわい」という意識を増幅させ、同和問題解決の阻害要因となっているだけでなく、新たな差別意識を生む大きな要因となっています。不当な要求に対しては、一貫して毅然とした態度でのぞみ、安易に妥協しないことが大切です。えせ同和行為をなくすためには、企業や社会全体の適切な対応が不可欠であり、そのためには同和問題についての正しい理解と認識を身に付けることが必要です。

  • A

    1975年に発覚した部落地名総鑑事件以降、関東以西の主要都市を中心に、同和問題の解決に向けた企業の連絡会組織(同企連)が結成されました。やがて、各地の同企連を全国規模にすることが議論され、1980年に東京・日比谷公会堂で「差別をなくす企業全国集会」が開催されました。

    こうした動きを足場に、1985年から活動を始めたのが「同和問題に取り組む全国企業連絡会」です。現在は13の同企連が加盟しており、事務局を大阪同和・人権問題企業連絡会が務めています。

    毎年12月の人権週間に合わせて全国集会が開催されるほか、各同企連代表者による情報交換会の開催など、連携・交流を深めています。

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